※共産主義サイトにキリスト教関連記事があるからと言って、誤解をしてはいけないのは、共産主義とキリスト教が互いを擁護し合う関係にあるとは限らないということですね。そこだけご注意ください。あくまで投稿者の主張の一環として「共産主義ドットコム」にこの記事があります。つまり貨幣的価値に隷属しない社会をつくるうえで、物質的な豊かさの実現はそれはそれとして、実現した暁に精神の豊かさを生む助けになるだろうと、キリスト教の素敵な言葉を広めたいというわけです。
聖書(マルコ福音書)の中ででてくる「あなたの信頼があなたを救った」という言葉について。簡単に解説すると、これは、「あなたが治癒者に全幅の信頼を置いたから救済されたのですよ」という一面的な解釈に基づき、施された患者(あなた)のほうを励ます言葉です。
マルコ福音書の第五章に「そして十二年間も長血(婦人特有の出血する病気)を患っている女がいて、大勢の医者によってひどく苦しめられ、全財産を無駄に費やし、それが何の役にも立たず、かえって悪くなり、イエスのことを聞いて、群衆にまじって来て、後ろからその衣にさわった。彼の衣にでもさわれれば自分は癒されるだろう、と言っていたのである。そしてすぐに血の源が渇き、その疾患から癒されたと自分の身で知った」という件があります。この後、イエスは自分の衣に触ったものを探すのですが、見つけたのは彼の弟子で、弟子は「あなたの信頼があなたを救った」と励ますのです。
言葉は種であり 蒔く者は言葉を蒔く
道に蒔かれると、鳥が来て食べる(別の教えによって否定されることの喩え)
石地に蒔かれると、根を生やさない(一時の共感で終わり些細なきっかけで失うことの喩え)
茨の中に蒔かれると、実を結ばない(異なる価値観との葛藤で蔑ろにされることの喩え)
良い地に蒔かれると、実を結ぶ(正しく理解できることの喩え)
コメント