ほかのどの者よりも多く投げ入れた

キリシタン広場

※共産主義サイトにキリスト教関連記事があるからと言って、誤解をしてはいけないのは、共産主義とキリスト教が互いを擁護し合う関係にあるとは限らないということですね。そこだけご注意ください。あくまで投稿者の主張の一環として「共産主義ドットコム」にこの記事があります。つまり貨幣的価値に隷属しない社会をつくるうえで、物質的な豊かさの実現はそれはそれとして、実現した暁に精神の豊かさを生む助けになるだろうと、キリスト教の素敵な言葉を広めたいというわけです。

聖書(マルコ福音書)の中ででてくる「ほかのどの者よりも多く投げ入れた」という言葉について。簡単に解説すると、これは、「貧しい人が小銭を投げ入れるのは、金持が沢山銅貨を投げ入れるより身を切る行為だ」という意味です。キリスト教の聖書の中に、貧者に対する一定の認知としてこのような記述があるのです。

マルコ福音書の第一二章に『アーメン、あなた方に言う。この貧しいやもめは、賽銭箱に投げ入れているほかのどの者よりも多く投げ入れたのだ。というのも、皆は自分にとってあり余っているものの中から投げ入れたのだが、彼女は自分の欠乏の中から、自分が持っている一切を投げ入れたのである。自分の全生活費を』という件(イエスの言葉)があります。大勢の金持が賽銭箱に銅貨を沢山投げいれる中、貧しいやもめは小銭を二つ投げ入れた。それを見たイエスは、貧しいやもめが最も身を切ったと言うのです。

言葉は種であり 蒔く者は言葉を蒔く

道に蒔かれると、鳥が来て食べる(別の教えによって否定されることの喩え)
石地に蒔かれると、根を生やさない(一時の共感で終わり些細なきっかけで失うことの喩え)
茨の中に蒔かれると、実を結ばない(異なる価値観との葛藤で蔑ろにされることの喩え)
良い地に蒔かれると、実を結ぶ(正しく理解できることの喩え)

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