※共産主義サイトにキリスト教関連記事があるからと言って、誤解をしてはいけないのは、共産主義とキリスト教が互いを擁護し合う関係にあるとは限らないということですね。そこだけご注意ください。あくまで投稿者の主張の一環として「共産主義ドットコム」にこの記事があります。つまり貨幣的価値に隷属しない社会をつくるうえで、物質的な豊かさの実現はそれはそれとして、実現した暁に精神の豊かさを生む助けになるだろうと、キリスト教の素敵な言葉を広めたいというわけです。
聖書(マルコ福音書)の中ででてくる「与えなさい」という言葉について。簡単に解説すると、これは、「あなたは雇った人に正しく賃金を払うように」とか「あなたは正しく分与されるべき財産を悪知恵で自分の懐に誘導してはいけない」という意味の言葉です。
マルコ福音書の第一〇章に「イエスは彼を見つめ、いつくしんで、言った、『一つあなたに欠けています。行って、お持ちのものを売り、貧しい人々に与えなさい。そうすれば天に宝を持つことになるでしょう。それから私に従っておいでなさい』。彼はこの言葉に対し顔をくもらせ、悩みつつ立ち去った。大きな財産を持っていたからである。」という件があります。金持が来て、神の国に行くために何をすればよいのかとイエスに質問をしたところ、「貧者へ財産を分け与えなさい」と言われたのです。
イエスにとってユダヤ教(旧約聖書)の「奪うなかれ」とは、「盗むなかれ」に留まらず、「与えなさい」という意味になるということです。
言葉は種であり 蒔く者は言葉を蒔く
道に蒔かれると、鳥が来て食べる(別の教えによって否定されることの喩え)
石地に蒔かれると、根を生やさない(一時の共感で終わり些細なきっかけで失うことの喩え)
茨の中に蒔かれると、実を結ばない(異なる価値観との葛藤で蔑ろにされることの喩え)
良い地に蒔かれると、実を結ぶ(正しく理解できることの喩え)
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