空想と兇行

総合

共産主義における最大の禍根は、フリードリヒ・エンゲルス(1820~1895)によって説かれた「革命の必然性」である。エンゲルスは、資本主義社会は共産主義革命を必然としたうえで、これを剰余価値説によって科学的推論とした。

形而上のもの(精神と思惟)と形而下のもの(物質と現象)で、マルクスの哲学とは後者(物質と現象)を根源とする一元論(つまり唯物論)である。唯物論とは、精神状態や意識を含む万物は物質同士の相互作用の結果であるとする。マルクスの唯物論はフォイエルバッハの唯物論の発展であり、フォイエルバッハの唯物論とは、人間を、欠乏し、欲求する身体をもつ存在と把握することを核心とする。

マルクス哲学の人間の解放と人間性の尊重とは、物質的な豊かさによるヒューマニズムであり、精神の豊かさによるヒューマニズムではない。つまり観念論(認識はただ意識の内容のみに関わる根源性を有するという考え方)の意味で貨幣的価値に隷属しない社会を実現することはマルクスの哲学ではない。それはエンゲルスの批判する空想社会主義にあたるだろう。「空想」とは、物質的豊かさの科学的実現性が無いことを言うのである。その「科学的実現性」の同値なものとして、エンゲルスは「生産手段の国有化」というナイーブな手段を弾き出し、さらにその手段として「革命」が必然であるという。

共産主義が、革命という兇行に陥る思想と見なされる最大の癌は、自由主義市場経済への寄生という巧みさを「持たざるがゆえの共産主義者」という前時代的な単一の境界である。科学の進歩に付着した文化的価値の溢れた現代において、漸進的に向上する文化的な生活水準を享受することは次第に容易になり、貨幣的価値に隷属しない社会の実現とは、至って現代的な思想のパラダイムだと筆者は思う。

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