共産主義者という単一の境界があるかのように言われる

総合

最も原始的な共産主義は、生産手段の国有化と貨幣的価値の公平な分配を経済の在り方として考える。しかしそれは最も原始的な共産主義の手段であり、目的ではない。共産主義の目的はマルクス哲学であり、労働の主体としての人間の解放と人間性の尊重である。筆者は、貨幣的価値に隷属しない社会の実現という一つの定点を見出した共産主義者である。共産主義者にも様々な論客がいる、もちろん様々な論客がいるダイバーシティを嫌う共産主義者もいるだろうけれど、それは言論の過程であって、「共産主義者」を単一の境界としてつくりあげることはレイシズムなのである。その意味で日本共産党は、正しく日本の代議制に則って、共産主義者や共産主義ではじめて救済される市民の声を代表して立法府に届けているのだ。

たとえば自宅でYoutubeのアニメを無料視聴できるのは何故だろうかと考えよう。それは配信元が放映権を買ったうえで無料配信しているからだ。配信元にそのような資力があるのは、課金したユーザの存在も重要だが、溢れんばかりの広告による収入も重要だ。現代人に消費財の存在を知らせる手段としてインターネット広告は有力な手段である。貨幣的価値を追求する企業が、先を争って広告を打ち出した結果、アニメを無料視聴できるという理由で、追加の貨幣を支出することなく生活が豊かになった。ここで、貨幣的価値に隷属しない社会の実現を目指す人が、そのような外部性のメカニズムでアニメを無料視聴してよいのかと自問してみると、確かに矛盾していると思う。しかし、この内面を断罪することは、「貨幣的価値を追求する企業で労働し自由主義を信奉する者以外、広告を見ないでくれ」と言うに等しく、今度は企業側が矛盾してしまうものである。

自由主義市場経済が支えられている、だから国民生活を営む人がいる

国民生活を営む人がいる、だから自由主義市場経済が支えられている

この二つは真なのであり、国民生活も、自由主義市場経済も、片方がもう片方を断罪する立場にないのである。貨幣的価値に隷属しない社会を実現とは、表裏一体のまま執り行うべきなのである。

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